こんなに飛ばして、持つのか?自分。
というペースで、日記を書き散らしてます。

え〜と、唐突ですが、モーツァルト大好きなんです。
モーツァルトの音楽って、
「軽さが沈み、重さが浮かぶ」とか、
「失踪するかなしみ」(@小林秀雄)とか、
いろいろ表現してきた人たちがいます。

明るさと、哀しみが、同時に、存在していると感じてしまうのです。
明るそうだけど、悲しいんだ。淋しいんだ。
という表現だと、悲しさが本質みたいになってしまう。
悲しそうだけど、明るいんだ。だと、その逆ね。
そうではなくて、明るいのも本当。哀しいのも本当。
どっちかに比重がかかっているのではなく、同時にある。

何も知らない、明るさではなくて、諦念した明るさが、
心に、よりそってくる感じなんです。
押しつけがましくなく。
なにもかも、そのままでいいんだよ。とゆるされているような感じが、
天上の音楽という人もいるようです。
(余談ですが、その点、バッハは垂直にのびるような天上に向かっての祈り、
 みたいに感じてます)

モーツァルトって、膨大な手紙が残されていて、
読んでいると、いろいろな顔がみられます。
仕事人間ばりばりな、超リアリストな言葉。
自分の仕事へのプライド。
出会った人の考察。
感性の鋭さが感じられます。
家族への、言葉遊びのおふざけ(野田秀樹のセリフまわしを連想させます)。
○んち、お○ら、下ネタだらけの、従妹への手紙。
転地療養している病気の妻への見舞いの言葉。

残した言葉から、
残した音楽から、
読み取ると。
無邪気と理性。老成した大人と無垢な子供。善と悪。聖と俗。
孤高と親しみ。
もう、ありとあらゆる正反対なものを、沢山かかえている人。
たいていの人も、そうなんでしょうが、その対になっているものの、
振り幅がものすごく大きい。
そういう人って、語りたくなるんですよね。
誰かも、そうですよね。
だから、中居正広に落ちちゃって、抜けられなくなってしまった。

映画「アマデウス」は、モーツァルトのそれまで、
あまり知られていなかった部分に光をあてたもの。
モーツァルトを描ききれていないし、強調し過ぎ、偏り過ぎと思うけれども、
大好きな映画です。
場面場面に使われている、モーツァルト自身の音楽が、ほんとに分かっているな。
という選曲なんです。

数年前、モーツァルトのミュージカルをみたけど、がっかりだった。
評判よかったみたいだけど。
松たか子も妻のコンスタンツェを演ってましたが。

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