中居さんでやってほしい役=コンサートマスター
2006年2月12日 中居さん「がんばれ中居くん」
スマステで、言ってくれました、慎吾。トリノ絡みで。
たった一言だけど、嬉しかったよー。やっぱりはずさないよ、あなたは。
今日は、中居正広に演じてほしいもの、パート2。
を、書きたいと思います。
ずばり、「コンサートマスター」役、です。
またクラシックかよー、ですが(笑)
わたくし、あるヴァイオリニストを追っかけしていたのですが、
その人は若干21、2歳で、コンサートマスターに就任しました。
わたしが、よく聴きに行っていた頃は、
就任して5、6年たっていたでしょうか。
同じ楽団にコンサートマスターは、2〜3人おります。
交代で、演奏会に乗る日と、降りる日があります。
わがままな指揮者さんになると、
彼がコンサートマスター(コンマス)でなきゃ、やんないもん。
というご指名があるくらい、若くして指揮者からの信頼篤い、
コンマスでした。
いや、実際、コンマスが違うだけで、舞台の空気が変わるんですよ。
音を出す前から。
どちらかというと、美形で、物腰は柔らかで、
優美な仕草を舞台上でされますが、
すっごい、ピンと張りつめた空気を作り出すお人でした。
演奏が終わって、
ヴラボーの声が飛ぶような、いい演奏会だったときの、
コンマスと指揮者のやりとりがまた、いいんです。
すっげ、がたいのいいヨーロッパのおじいちゃん指揮者だったときなんか、
小柄なコンマス氏を、ぎゅうー、と抱きしめて、離さなかったし。
巨体に埋もれながら、コンマス氏、苦笑まじりの微笑み。
指揮者は、喝采を、オーケストラ(オケ)にも捧げるために、
オケを立たせようと、ジェスチャーします。
でも、コンマス氏、立ちません。
(コンマスの指示で、オケは動きます)
指揮者一人に、喝采を捧げるために、
弓で譜面台をたたくまねをします。足を踏み鳴らします。
これらの仕草は、オケがする喝采の表現です。
指揮者、嬉しくて、でも、こまっちゃって、
何度も、オケを立たせようとしますが、
コンマスは、にっこり笑って、首をふり、
「いえいえ。あなたが、この喝采をお受けください」とジェスチャーで、
やりとりします。
そんなやりとりを幾度か繰り返した後、
コンマス氏、優美に立ち上がります。
それを受けて、オケもザッと立ち上がり、
また、場内、一段とヒートアップした拍手を送ります。
コンマスと指揮者ぎゅっと、握手。
大感激した指揮者は、おっきい手で、コンマスの優美な手を
両手で、握りしめます。
そして、感極まって、むぎゅー、っと抱きしめちゃう。
という光景をよく見てきました。
で、オケが指揮者に敬意を持っていないときは、
指揮者の立っての合図に、あっさり立ち上がっちゃうし。
うん。喝采を受けるの当然だし。僕ら。ヤツじゃなくて。
とういう感じなのです。
でも、顔はにこやかに笑って、指揮者と握手してるんだけどね。
指揮者、顔ひきつってんの。
そ〜んな楽しい舞台上のやりとりを、
中居さんで、見たいなーと。
一話完結で、指揮者役に大物俳優がゲスト出演。
あの手この手で大物俳優陣を落として行く中居さん。(←え、違う?)
オケも海千山千がいっぱいだし。
反発してくる、メンバーもいるだろうし、
ファンのおばちゃま(失礼、昔お嬢様の)ヴァイオリン弾きもいるだろうし。
指揮者と、オケとの板挟みにもなるだろうし。
人間関係に、心を砕き、
よい演奏を求めるために、身を削り、なシーンも盛り沢山。
悩める中居。(見たい〜)
演奏会をご覧になると、弦楽器群の弓使い、揃ってますよね。
弓を上げながら弾くのか、下げながら弾くのかで、
同じフレーズを弾くのにも、全然違うそうです。
よく弾く曲は、この弓使い(ボウイングといいます)が
決まっているそうですが(これがオケの伝統でもあるそうです)、
コンマスがボウイングをつけます。
演奏会の練習の前段階として、すでにコンマスの仕事は始まっています。
世界初演、日本初演の現代音楽を演奏会に乗せる日にゃ、もう、
一小節のボウイングをつけるだけで、ものすごく時間がかかるそうです。
で、かの人は、コンマスだけではなくて、
ソリストとして、室内楽奏者としても活躍してました。
ソリストとして、自分のオケでコンチェルトを演奏するだけでなく、
違うオケに招かれてゲストで、コンチェルトを弾くこともありました。
ホーム(自分のオケ)と、アウェー(ゲストのとき)の時では、
同じ曲でも、聴く方もドキドキ感が違っていて、アウェーのときは、
妙に力はいっちゃったりして。わたしが。
そうそう、ピアノや、ヴァイオリンのコンチェルトをやるときは、
それぞれのソリストとのやりとりもまた、見応えあります。
(いや、聴き応えですから)
指揮者との三つ巴もあったり。
あと、コンマスのソロがある曲があるのですが、
そんな曲がかかった日にはもう、たまりません。
例えば、R・シュトラウスの「英雄の生涯」、
リムスキーコルサコフの「シェエラザード」(千一夜物語りのことです)、
ブラームスの交響曲第一番の「第二楽章」。
私の好きなヴァイオリニスト以外でも、このブラームスの
シンフォニーの一番の第二楽章のソロをいろいろ
聴きましたが、彼のソロが一番だと思っています。
晴れた秋の空に、澄みきった音が立ちのぼっていって、
すう〜っと、吸いこまれながら消えていく感じなのです。
あと、わたしが、このヴァイオリニストに落ちるきっかけになった曲。
「シェエラザード」。
コンマスのソロヴァイオリンが、千一夜物語りの姫をあらわしているのですが、
彼のヴァイオリンの気高く、澄んだ高音にやられました。
まだまだ若かった彼なので、シェエラザードの艶っぽさには少〜し、
欠けたけど、おつりがくるぐらいでした。
音楽大学を出ても、プロになれる人は、ほんの一握り。
オーケストラに入団できるだけでも、大変なこと。
でも、第一バイオリンに入れて、
経験を積んでも、コンサートマスターにはなれない。
別枠。
でも、コンサートマスターはソリストとは、また違った立ち位置。
今は、分かりませんが、まず、ソリストを目指し、
どこかの時点で諦めて、オーケストラに転身する。
あるいは、合奏の魅力で、ソリストには興味がない人。
で、コンサートマスターって、そのへんの立ち位置が微妙な感じがして、
ドラマになるよなー。と勝手に思っています。
また、どんなに上手くてもコンサートマスターの資質がない人もいる。
彼は、チャイコフスキーで優勝したかたと日本音楽コンクールで、
戦ったお人です。
同じファイナルを戦った人たちは、諏○内さんじゃなくて、彼の方を
押している人、多かったと、聞きました。
彼は、小学生の頃から、あの江藤俊哉に師事していました。
NHKのみんなのおけいこにも出ていたんですよ。
江藤俊哉が先生で。
だけど、中学生(あれ?高校だったかな?)のときに、
生死をさまようぐらいの大病をして、
まったくヴィオリンを弾けない時期が数ヶ月続いた。
諏訪○さんも、途中から師事してきて。
同じ江藤門下での、一番弟子をめぐる争いとか、
いろいろありそうじゃないですか。
外から見ると、なんかクラシックの世界も、
魑魅魍魎の世界でもある感じがします。
光と影を背負ったコンサートマスターをぜひ、中居さんで、
見たいです。
でも、もう少し若いときに見たかったかも。
あまり、年を取りすぎちゃうと、もう貫禄でちゃって、
偉大なるコンマスって感じで、別ドラマになっちゃうから〜。
クラシックに強い人、脚本書いてくださ〜い。
スマステで、言ってくれました、慎吾。トリノ絡みで。
たった一言だけど、嬉しかったよー。やっぱりはずさないよ、あなたは。
今日は、中居正広に演じてほしいもの、パート2。
を、書きたいと思います。
ずばり、「コンサートマスター」役、です。
またクラシックかよー、ですが(笑)
わたくし、あるヴァイオリニストを追っかけしていたのですが、
その人は若干21、2歳で、コンサートマスターに就任しました。
わたしが、よく聴きに行っていた頃は、
就任して5、6年たっていたでしょうか。
同じ楽団にコンサートマスターは、2〜3人おります。
交代で、演奏会に乗る日と、降りる日があります。
わがままな指揮者さんになると、
彼がコンサートマスター(コンマス)でなきゃ、やんないもん。
というご指名があるくらい、若くして指揮者からの信頼篤い、
コンマスでした。
いや、実際、コンマスが違うだけで、舞台の空気が変わるんですよ。
音を出す前から。
どちらかというと、美形で、物腰は柔らかで、
優美な仕草を舞台上でされますが、
すっごい、ピンと張りつめた空気を作り出すお人でした。
演奏が終わって、
ヴラボーの声が飛ぶような、いい演奏会だったときの、
コンマスと指揮者のやりとりがまた、いいんです。
すっげ、がたいのいいヨーロッパのおじいちゃん指揮者だったときなんか、
小柄なコンマス氏を、ぎゅうー、と抱きしめて、離さなかったし。
巨体に埋もれながら、コンマス氏、苦笑まじりの微笑み。
指揮者は、喝采を、オーケストラ(オケ)にも捧げるために、
オケを立たせようと、ジェスチャーします。
でも、コンマス氏、立ちません。
(コンマスの指示で、オケは動きます)
指揮者一人に、喝采を捧げるために、
弓で譜面台をたたくまねをします。足を踏み鳴らします。
これらの仕草は、オケがする喝采の表現です。
指揮者、嬉しくて、でも、こまっちゃって、
何度も、オケを立たせようとしますが、
コンマスは、にっこり笑って、首をふり、
「いえいえ。あなたが、この喝采をお受けください」とジェスチャーで、
やりとりします。
そんなやりとりを幾度か繰り返した後、
コンマス氏、優美に立ち上がります。
それを受けて、オケもザッと立ち上がり、
また、場内、一段とヒートアップした拍手を送ります。
コンマスと指揮者ぎゅっと、握手。
大感激した指揮者は、おっきい手で、コンマスの優美な手を
両手で、握りしめます。
そして、感極まって、むぎゅー、っと抱きしめちゃう。
という光景をよく見てきました。
で、オケが指揮者に敬意を持っていないときは、
指揮者の立っての合図に、あっさり立ち上がっちゃうし。
うん。喝采を受けるの当然だし。僕ら。ヤツじゃなくて。
とういう感じなのです。
でも、顔はにこやかに笑って、指揮者と握手してるんだけどね。
指揮者、顔ひきつってんの。
そ〜んな楽しい舞台上のやりとりを、
中居さんで、見たいなーと。
一話完結で、指揮者役に大物俳優がゲスト出演。
あの手この手で大物俳優陣を落として行く中居さん。(←え、違う?)
オケも海千山千がいっぱいだし。
反発してくる、メンバーもいるだろうし、
ファンのおばちゃま(失礼、昔お嬢様の)ヴァイオリン弾きもいるだろうし。
指揮者と、オケとの板挟みにもなるだろうし。
人間関係に、心を砕き、
よい演奏を求めるために、身を削り、なシーンも盛り沢山。
悩める中居。(見たい〜)
演奏会をご覧になると、弦楽器群の弓使い、揃ってますよね。
弓を上げながら弾くのか、下げながら弾くのかで、
同じフレーズを弾くのにも、全然違うそうです。
よく弾く曲は、この弓使い(ボウイングといいます)が
決まっているそうですが(これがオケの伝統でもあるそうです)、
コンマスがボウイングをつけます。
演奏会の練習の前段階として、すでにコンマスの仕事は始まっています。
世界初演、日本初演の現代音楽を演奏会に乗せる日にゃ、もう、
一小節のボウイングをつけるだけで、ものすごく時間がかかるそうです。
で、かの人は、コンマスだけではなくて、
ソリストとして、室内楽奏者としても活躍してました。
ソリストとして、自分のオケでコンチェルトを演奏するだけでなく、
違うオケに招かれてゲストで、コンチェルトを弾くこともありました。
ホーム(自分のオケ)と、アウェー(ゲストのとき)の時では、
同じ曲でも、聴く方もドキドキ感が違っていて、アウェーのときは、
妙に力はいっちゃったりして。わたしが。
そうそう、ピアノや、ヴァイオリンのコンチェルトをやるときは、
それぞれのソリストとのやりとりもまた、見応えあります。
(いや、聴き応えですから)
指揮者との三つ巴もあったり。
あと、コンマスのソロがある曲があるのですが、
そんな曲がかかった日にはもう、たまりません。
例えば、R・シュトラウスの「英雄の生涯」、
リムスキーコルサコフの「シェエラザード」(千一夜物語りのことです)、
ブラームスの交響曲第一番の「第二楽章」。
私の好きなヴァイオリニスト以外でも、このブラームスの
シンフォニーの一番の第二楽章のソロをいろいろ
聴きましたが、彼のソロが一番だと思っています。
晴れた秋の空に、澄みきった音が立ちのぼっていって、
すう〜っと、吸いこまれながら消えていく感じなのです。
あと、わたしが、このヴァイオリニストに落ちるきっかけになった曲。
「シェエラザード」。
コンマスのソロヴァイオリンが、千一夜物語りの姫をあらわしているのですが、
彼のヴァイオリンの気高く、澄んだ高音にやられました。
まだまだ若かった彼なので、シェエラザードの艶っぽさには少〜し、
欠けたけど、おつりがくるぐらいでした。
音楽大学を出ても、プロになれる人は、ほんの一握り。
オーケストラに入団できるだけでも、大変なこと。
でも、第一バイオリンに入れて、
経験を積んでも、コンサートマスターにはなれない。
別枠。
でも、コンサートマスターはソリストとは、また違った立ち位置。
今は、分かりませんが、まず、ソリストを目指し、
どこかの時点で諦めて、オーケストラに転身する。
あるいは、合奏の魅力で、ソリストには興味がない人。
で、コンサートマスターって、そのへんの立ち位置が微妙な感じがして、
ドラマになるよなー。と勝手に思っています。
また、どんなに上手くてもコンサートマスターの資質がない人もいる。
彼は、チャイコフスキーで優勝したかたと日本音楽コンクールで、
戦ったお人です。
同じファイナルを戦った人たちは、諏○内さんじゃなくて、彼の方を
押している人、多かったと、聞きました。
彼は、小学生の頃から、あの江藤俊哉に師事していました。
NHKのみんなのおけいこにも出ていたんですよ。
江藤俊哉が先生で。
だけど、中学生(あれ?高校だったかな?)のときに、
生死をさまようぐらいの大病をして、
まったくヴィオリンを弾けない時期が数ヶ月続いた。
諏訪○さんも、途中から師事してきて。
同じ江藤門下での、一番弟子をめぐる争いとか、
いろいろありそうじゃないですか。
外から見ると、なんかクラシックの世界も、
魑魅魍魎の世界でもある感じがします。
光と影を背負ったコンサートマスターをぜひ、中居さんで、
見たいです。
でも、もう少し若いときに見たかったかも。
あまり、年を取りすぎちゃうと、もう貫禄でちゃって、
偉大なるコンマスって感じで、別ドラマになっちゃうから〜。
クラシックに強い人、脚本書いてくださ〜い。
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