「がんばれ中居くん」
スマステで、言ってくれました、慎吾。トリノ絡みで。
たった一言だけど、嬉しかったよー。やっぱりはずさないよ、あなたは。

今日は、中居正広に演じてほしいもの、パート2。
を、書きたいと思います。

ずばり、「コンサートマスター」役、です。
またクラシックかよー、ですが(笑)

わたくし、あるヴァイオリニストを追っかけしていたのですが、
その人は若干21、2歳で、コンサートマスターに就任しました。
わたしが、よく聴きに行っていた頃は、
就任して5、6年たっていたでしょうか。

同じ楽団にコンサートマスターは、2〜3人おります。
交代で、演奏会に乗る日と、降りる日があります。
わがままな指揮者さんになると、
彼がコンサートマスター(コンマス)でなきゃ、やんないもん。
というご指名があるくらい、若くして指揮者からの信頼篤い、
コンマスでした。
いや、実際、コンマスが違うだけで、舞台の空気が変わるんですよ。
音を出す前から。
どちらかというと、美形で、物腰は柔らかで、
優美な仕草を舞台上でされますが、
すっごい、ピンと張りつめた空気を作り出すお人でした。

演奏が終わって、
ヴラボーの声が飛ぶような、いい演奏会だったときの、
コンマスと指揮者のやりとりがまた、いいんです。
すっげ、がたいのいいヨーロッパのおじいちゃん指揮者だったときなんか、
小柄なコンマス氏を、ぎゅうー、と抱きしめて、離さなかったし。
巨体に埋もれながら、コンマス氏、苦笑まじりの微笑み。

指揮者は、喝采を、オーケストラ(オケ)にも捧げるために、
オケを立たせようと、ジェスチャーします。
でも、コンマス氏、立ちません。
(コンマスの指示で、オケは動きます)
指揮者一人に、喝采を捧げるために、
弓で譜面台をたたくまねをします。足を踏み鳴らします。
これらの仕草は、オケがする喝采の表現です。
指揮者、嬉しくて、でも、こまっちゃって、
何度も、オケを立たせようとしますが、
コンマスは、にっこり笑って、首をふり、
「いえいえ。あなたが、この喝采をお受けください」とジェスチャーで、
やりとりします。
そんなやりとりを幾度か繰り返した後、
コンマス氏、優美に立ち上がります。
それを受けて、オケもザッと立ち上がり、
また、場内、一段とヒートアップした拍手を送ります。
コンマスと指揮者ぎゅっと、握手。
大感激した指揮者は、おっきい手で、コンマスの優美な手を
両手で、握りしめます。
そして、感極まって、むぎゅー、っと抱きしめちゃう。
という光景をよく見てきました。

で、オケが指揮者に敬意を持っていないときは、
指揮者の立っての合図に、あっさり立ち上がっちゃうし。
うん。喝采を受けるの当然だし。僕ら。ヤツじゃなくて。
とういう感じなのです。
でも、顔はにこやかに笑って、指揮者と握手してるんだけどね。
指揮者、顔ひきつってんの。

そ〜んな楽しい舞台上のやりとりを、
中居さんで、見たいなーと。
一話完結で、指揮者役に大物俳優がゲスト出演。
あの手この手で大物俳優陣を落として行く中居さん。(←え、違う?)

オケも海千山千がいっぱいだし。
反発してくる、メンバーもいるだろうし、
ファンのおばちゃま(失礼、昔お嬢様の)ヴァイオリン弾きもいるだろうし。
指揮者と、オケとの板挟みにもなるだろうし。
人間関係に、心を砕き、
よい演奏を求めるために、身を削り、なシーンも盛り沢山。
悩める中居。(見たい〜)

演奏会をご覧になると、弦楽器群の弓使い、揃ってますよね。
弓を上げながら弾くのか、下げながら弾くのかで、
同じフレーズを弾くのにも、全然違うそうです。
よく弾く曲は、この弓使い(ボウイングといいます)が
決まっているそうですが(これがオケの伝統でもあるそうです)、
コンマスがボウイングをつけます。
演奏会の練習の前段階として、すでにコンマスの仕事は始まっています。
世界初演、日本初演の現代音楽を演奏会に乗せる日にゃ、もう、
一小節のボウイングをつけるだけで、ものすごく時間がかかるそうです。

で、かの人は、コンマスだけではなくて、
ソリストとして、室内楽奏者としても活躍してました。
ソリストとして、自分のオケでコンチェルトを演奏するだけでなく、
違うオケに招かれてゲストで、コンチェルトを弾くこともありました。
ホーム(自分のオケ)と、アウェー(ゲストのとき)の時では、
同じ曲でも、聴く方もドキドキ感が違っていて、アウェーのときは、
妙に力はいっちゃったりして。わたしが。

そうそう、ピアノや、ヴァイオリンのコンチェルトをやるときは、
それぞれのソリストとのやりとりもまた、見応えあります。
(いや、聴き応えですから)
指揮者との三つ巴もあったり。

あと、コンマスのソロがある曲があるのですが、
そんな曲がかかった日にはもう、たまりません。
例えば、R・シュトラウスの「英雄の生涯」、
リムスキーコルサコフの「シェエラザード」(千一夜物語りのことです)、
ブラームスの交響曲第一番の「第二楽章」。

私の好きなヴァイオリニスト以外でも、このブラームスの
シンフォニーの一番の第二楽章のソロをいろいろ
聴きましたが、彼のソロが一番だと思っています。
晴れた秋の空に、澄みきった音が立ちのぼっていって、
すう〜っと、吸いこまれながら消えていく感じなのです。

あと、わたしが、このヴァイオリニストに落ちるきっかけになった曲。
「シェエラザード」。
コンマスのソロヴァイオリンが、千一夜物語りの姫をあらわしているのですが、
彼のヴァイオリンの気高く、澄んだ高音にやられました。
まだまだ若かった彼なので、シェエラザードの艶っぽさには少〜し、
欠けたけど、おつりがくるぐらいでした。

音楽大学を出ても、プロになれる人は、ほんの一握り。
オーケストラに入団できるだけでも、大変なこと。
でも、第一バイオリンに入れて、
経験を積んでも、コンサートマスターにはなれない。
別枠。
でも、コンサートマスターはソリストとは、また違った立ち位置。
今は、分かりませんが、まず、ソリストを目指し、
どこかの時点で諦めて、オーケストラに転身する。
あるいは、合奏の魅力で、ソリストには興味がない人。
で、コンサートマスターって、そのへんの立ち位置が微妙な感じがして、
ドラマになるよなー。と勝手に思っています。
また、どんなに上手くてもコンサートマスターの資質がない人もいる。

彼は、チャイコフスキーで優勝したかたと日本音楽コンクールで、
戦ったお人です。
同じファイナルを戦った人たちは、諏○内さんじゃなくて、彼の方を
押している人、多かったと、聞きました。

彼は、小学生の頃から、あの江藤俊哉に師事していました。
NHKのみんなのおけいこにも出ていたんですよ。
江藤俊哉が先生で。
だけど、中学生(あれ?高校だったかな?)のときに、
生死をさまようぐらいの大病をして、
まったくヴィオリンを弾けない時期が数ヶ月続いた。

諏訪○さんも、途中から師事してきて。
同じ江藤門下での、一番弟子をめぐる争いとか、
いろいろありそうじゃないですか。
外から見ると、なんかクラシックの世界も、
魑魅魍魎の世界でもある感じがします。

光と影を背負ったコンサートマスターをぜひ、中居さんで、
見たいです。
でも、もう少し若いときに見たかったかも。
あまり、年を取りすぎちゃうと、もう貫禄でちゃって、
偉大なるコンマスって感じで、別ドラマになっちゃうから〜。
クラシックに強い人、脚本書いてくださ〜い。

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