ついでなので、宮崎駿について語ってみたくなった
2006年4月12日 映画 コメント (3)大ヒットしたけど、賛否な「もののけ姫」。
宮崎さんの書かれたものや、インタビューされたものを読むと、
子供たちに向けて、嘘をつかないで、誠実につくられた作品だったなと思います。
そして、ことごとく、自分の得意なことを封印させた作品。
飛ばない。
明快な畳み掛けるようなストーリー展開。
大大円なカタルシス。
これがなかったために、今までの宮崎映画にあった爽快感が、
奪われてしまった作品。
これは、意図的にやったと思われます。
現実世界で、問題が複雑にからみあい、簡単には単純には、
解決のつかないさまざまなこと。
閉塞感いっぱいな現代にあって、映画の中でさえも、簡単な答えは
出せなかった。出したくなかった。
こうすれば、解決がつくよ。と、嘘をつきたくなかった。
かといって、絶望感のまま、終わらせたくなかった。
自分は絶望感でいっぱいなのに。
映画版ナウシカ。
最後、カタルシスが得られる終わり方。
ほのかな希望を提示。
あのときよりも、時代は逼迫していると、宮崎さんは感じている。
そして、あの映画をみて、自分はなにもしてなくても、
感動して、涙を流したことによって、
現実世界のことも解決した気になってしまう人の多さ。
に危惧を抱いた。
映画版ナウシカを作ったからこその、
責任としての「もののけ姫」を作った。と思えてならない。
でも、わたしがこう思うのは、書かれた物や、
いろいろなインタビューを読んだから。
映画は、とにかく見ている間中、苦しくてならなかった。
映画は、映画として成立していなければ、ならないと思う。
何かで補完されて理解できるのでは、成功したとはいえないと思う。
それでも、あの時にあの「もののけ姫」をつくったのは、
意味のあることだったのだと思う。
宮崎さんの書かれたものや、インタビューされたものを読むと、
子供たちに向けて、嘘をつかないで、誠実につくられた作品だったなと思います。
そして、ことごとく、自分の得意なことを封印させた作品。
飛ばない。
明快な畳み掛けるようなストーリー展開。
大大円なカタルシス。
これがなかったために、今までの宮崎映画にあった爽快感が、
奪われてしまった作品。
これは、意図的にやったと思われます。
現実世界で、問題が複雑にからみあい、簡単には単純には、
解決のつかないさまざまなこと。
閉塞感いっぱいな現代にあって、映画の中でさえも、簡単な答えは
出せなかった。出したくなかった。
こうすれば、解決がつくよ。と、嘘をつきたくなかった。
かといって、絶望感のまま、終わらせたくなかった。
自分は絶望感でいっぱいなのに。
映画版ナウシカ。
最後、カタルシスが得られる終わり方。
ほのかな希望を提示。
あのときよりも、時代は逼迫していると、宮崎さんは感じている。
そして、あの映画をみて、自分はなにもしてなくても、
感動して、涙を流したことによって、
現実世界のことも解決した気になってしまう人の多さ。
に危惧を抱いた。
映画版ナウシカを作ったからこその、
責任としての「もののけ姫」を作った。と思えてならない。
でも、わたしがこう思うのは、書かれた物や、
いろいろなインタビューを読んだから。
映画は、とにかく見ている間中、苦しくてならなかった。
映画は、映画として成立していなければ、ならないと思う。
何かで補完されて理解できるのでは、成功したとはいえないと思う。
それでも、あの時にあの「もののけ姫」をつくったのは、
意味のあることだったのだと思う。
コメント
試写会で観た帰り、友達と2人で「画面が遠かったね」と、落ち込んで帰りました。
期待していた分だけ、裏切られた気分でした。
今、観ると。また違って観られるかもしれませんけれども。
ただ、どうせなら「ナウシカ」の続編を作るべきだったとは、私は思っています。
もののけ姫は、原作絵本のような、お伽噺で観たかったです。
あの当時、宮さんの心は、怒りと絶望でいっぱいでした。
そのことが、1番哀しかった。
続編。宮崎さんは作らないですね。
宮崎さんについても、語ると長くなります。わたし(笑)
ところで、メールの返信をさせて頂きました♪
宮さんについても、ぜひ、もっと語って下さい〜♪
URL、ありがとうございました。
ハウルの所だけ読みましたよ。
いろんな捉え方があって、欧米人って面白いですね。