またまた、ライブ話で恐縮です。

中居さんは、魅せ方を心得てる人だな。
と、つくづく思った。

自分にカメラがよって来た時の、
仕草が、ことごとく決まる。
黒ロングジャケット(コート?)のときなんか、特に。

カメラがなくてもだけど。
長い裾を手で跳ね上げて、翻しながらのターンとか。

ドリスマの白スーツのときのスーツの裾を手で跳ね上げる、
アレを彷彿とさせる。
そんな感じのを今回のは、後ろ向きでやるのだ。

あ、そうだ。
バンバカのときに、好きだったフリが、
今回のライブではないのが、ちょっと残念。
足を横から振り上げて回すヤツ。
日産のとき、たまたまやらなかったのかなー。
と思ってたんだけど、
福岡でもやってなかったと思う。

サムガで。
「僕は雲の上の人だから」発言。

ズキっときた。
そうなんだよね。

中居さんが、はけていって。
ライブが終わって。
興奮した余韻が残る会場で、
すぐに立てなくて。

たった今まで、同じ場所にいたのに、
媒体を通さず、同じ空気を吸っていたのに、
すっごく一体感を感じられたからこその落差。
一見、身近に感じられるのに、
すっごく遠くて、切なかった。
物理的な距離ではなくて。

ドームの中にいるうちは、まだよかった。
シーホークの高層階に泊まれて、
このたった数階上に中居さんもいるんだよな。
と淋しさの中にも、幸福な夢をみていられたうちはよかった。

次の日、
ドームの目の前のスパで、
お湯につかったり、低岩盤浴をしたり、
寝椅子に横になりながら、
ドームを見ながら、昨晩のことに思いを馳せながら、
現実が浸食してくることから、
必死で抵抗していたように思う。

このまま、
夢の中に住んでいたかった。

羽田に戻ったとき、いつもはホッとするんだけど、
心をドームに置いて来てしまったみたい。
心もとない感じがした。

夢の中の人なんだよな。
雲の上の人なんだよな。

そういうの、分かってるはずなのに。
わかってたはずなのに。

地に足つけないとね。
明日から、仕事が始まる。
ちゃんとしなくちゃな。

コメント

早
2006年8月21日15:02

「すっごく遠くて、切なかった。」
その気持ち、すっごく分かります。
イーダさんの日記を読んで泣きそうになりました。
そうなんですよね、物理的な距離ではないんですよね。
今年のライブ、私はこの切ない気持ちをライブ中に感じてしまいました。こんなことは初めてでした。
ライブが終わった後の落差でボーっとしてしまうことはあったのですが、ライブ中にボーっとするなんて・・・
もったいないなと思いながらも、どうすることも出来ませんでした。
人を好きになる時、苦しかったり、切なかったりしますが、「雲の上の人」を好きになる場合は特別な痛みがありますよね。
それでも中居正広が好きなんだから、まぁ仕方ないですけどね。(笑)

長々失礼しました。

イーダ
イーダ
2006年8月21日18:54

早ちゃん、ありがとう。
ライブ中に感じてしまいましたか。
それは、ほんとに切なかったね。きつかったね。

「雲の上の人」だから。
というのも、もちろん大きいんだけど、
もののあはれ、諸行無常というか、そういうのにやられちゃうんだよね。

クラシックをよく聴きにいっていたときも、
あったんだけど、
感動した演奏会になるほど、
淋しくなっちゃってね。
演奏者、会場が一体となって創り上げた、音楽は流れていき、
けっしてそこに留まることはなく。
きらめいていた、名状しがたいなにかを、
心にずっととどめて置きたくても、
あんなに輝いていたものは、
日常の中でどんどん薄れていく。
必死でつなぎ止めておきたくても、
手のひらから、さらさらと砂がこぼれていくように、
儚くなっていく。
もうね、そういうものだ。
って、わかっていてもね。
つらいなー。と。

後で、辛くなるとわかっていても、
きらめく何かを一瞬でもつかんだ。
という実感をまた求めちゃうんだよね。
するり、とすぐに逃げていくのに。
掴んだ。と思ってるつもりでも、それもたぶん錯覚なんだけどね。